重い話。ずっといっしょ。から思うこと。ぼやき。
映画「うまれる」からの2作目「ずっといっしょ」を見てきました。
BOXティッシュが必要かと思っていたけど荷物の多さにポケットティッシュを2つにハンカチとガーゼ持って、見たんですけどね。
泣かせようとしている感は好きじゃない私。
天邪鬼。
でも、そんなんじゃない真髄を考える。
生きるってことは死に向かってるってことで、表裏一体なんだな。
ネタバレ注意**********************
**********************←この*まで。
亡くなった妻を想い、時間が止まったままだと言う夫。
時間は解決してくれない。
行動が解決する。
この言葉、響いたなぁ。
そしてついつい、夫を思い出し、私より先に死なないでねとか思っちゃう。
そして我が両親を思い出すけど、介護の思いまで想像が及ばない。
18トリソミーの虎ちゃんが危篤状態になった時、いつも死と隣り合わせで生きてきたという現実を生きるって、ありきたりの言葉だけど「すごい」と思って、もう一度桜が見たいって言う願いも「すごい」ことなんだと思い知らされた。
ステップファミリーについて考える。
ステップファミリーは、身近にも居て、特別に思っていないつもりだったけど、当事者ではないので、どこかで分からない気持ちがあって、もっと、わかり合いたいと思った現実。
あと、どうでもいいけど思い出した関東の言葉とノリとニュアンス。
(私は8年東京に居ました)
住んでたので、言葉の使い方の意味もも分かるけど、これは知らない人はどう受け取るのかとかも心配した、余計なお世話をする私。
もっと、嗚咽するほど泣くかと思ったけど、そうでもなくて、でも、涙は勝手に流れてくる作品でした。
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そして、今だから感じることが出来て、観るタイミングだったんだろうなと思います。
完全自主映画ですが、学校とかでも自主映画出来るように募金を募ってました。
中学生が観たらどう感じるんだろう。
生きていることが当たり前の時期は、まだ早いんじゃない?とも思ったり。
いやいや、中学生をみくびるな!と思ってみたり。
確実、我が娘5歳には早いです。
だって、受け取りすぎて、この前、ドラえもんで大号泣してました。
「かわいそうなぞう」のお話のドラえもんバージョンで大号泣。
娘が、こんなに感受性が強いと知っているので普段の悪態が強がりだったりするのだと理解してますが、知らないと、乱暴な子って思われるよね、と心配する母。
この心配は、アドラー心理学からすれば余計な御世話なんだろうけど。
映画を観て色々なことを考える。
今直面する 子育てのこと。
何が大変なんだろう。
いろいろ考え巡らせたところ、自信を持てない子育てなのかな。
「それでいいよ」
って言ってくれる人が身近にいれば自信を持って子育て出来るのにね。
あと
「それはダメよ」
も言ってくれる人も必要かと。
言われて嫌だけど、後から言ったら「早く言ってよ」とか思うよね(笑)
でもさ、言われる前に自分で求めて気づきたい。
だから私は、日々、精進な訳ですよ。
aiaiで、お伝えできることはしますが、「先生」ではなく、チョット知ってる人な感じなので、先生ではなく「まきさん」「まきちゃん」って呼んでください。
下の名前で呼ばれると、綺麗になるホルモン出るらしいしね。
私、綺麗になりたいから(笑)
この映画をやっと観ることができました。
タイミングってあるんだね。
ありがとう、アクティブなグランマ!(ここは意味不明で置いといてください)
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